福島県飯舘村視察報告 第一弾!

ふくしま再生の会の説明をしてくださる菅野宗夫さん。

11月11日から12日にかけて福島県飯舘村へのスタディツァーに参加した。飯舘村は周知のとおり、原発立地からは離れており、原発事故直後は浪江町などの避難者を受け入れていたが、放射線量が高いことが判明。11年4月22日に「計画的避難区域」に指定されて同6月末までに全村避難となった村である。今年2017年3月、長泥地区を除き避難指示解除となった。今、復興に向けて一歩一歩歩みを進めている。

私が参加したスタディツァーは2014年から毎年企画されており、震災後の福島の復興について、それも主に農業に視点を当て、福島県有機農業ネットワークのメンバーを訪ねて学習と視察を重ねてきた。今年はいよいよ飯舘村である。

飯舘村の避難指示解除、そして飯舘村として帰村を決めたことなどについては様々な議論がある。今回の視察についてはそれらの議論は承知しつつもニュートラルな目と耳で現地の人たちの思いや活動を見て、聴いて、そして事故を起こした原発の電気をつかって生きていた一人として、何を考えて発信していくべきか考えたいと思って参加した。

考えを深めていくためにも、まずは皆さまにご報告をしていきたい。

1日目 10:00に福島駅に集合。車で飯舘村へ移動。まずは昼食となった。昼食は「えびす庵」、創業は1956年。飯舘村の避難指示が解除されて再開した店の第一号だ。現在、飯舘村に飲食ができる店はほとんどない。その中でいち早く再開して、食を提供している。私たちが店にいる間にも次々に人が訪れていた。

再開第一号のお食事処。飯舘村には飲食できる場所はほとんどなく、近隣で作業する人たちにはありがたい存在だ。

私たちが食べたのは、NO1人気の肉野菜うどん。洗練した味ではないかもしれないが、お出汁のうま味と野菜から出る滋味が相俟ってとても美味しい!麺も素朴な手打ちうどんで、一同「おいしい!」を連発しながら味わった。

最初に訪問した先は、「ふくしま再生の会」の中心人物である菅野宗夫さん。「ふくしま再生の会」設立のそもそものきっかけは現在理事長を務める田尾陽一氏ら学者や医師などの18名のグループが2011年6月に福島県を視察し、飯舘村の菅野宗夫さん宅を訪ねたことだという。その際、次のような点で意見が一致した。①東電福島第一原発の事故は明確な人災である。②そもそも原子力発電技術が事故を収束させる技術を持たないことがおかしい。③村民が帰村して安心して農業を営み、生活できる施策を打つべき。④この問題は福島だけの問題ではなく、世界の問題である。⑤今後調査して得られたデータをすべて再生のために行政へ提供し、提言を行う。これらの意見の一致を受けて、菅野さんが自宅を開放して「ふくしま再生の会」がスタートした。

ふくしま再生の会の基本的な活動は空間線量や個人線量のモニタリングと放射能分析だ。発展させた活動として農業や山林の再生、健康医療ケア、体験ツァーがある。今後はこれらに加えて、村内の拠点作りも考えている。

「避難解除になっても、『帰れるようになって良かった』と言われると何と答えて良いかわからない。自分たちはゼロからではなく、マイナスからのスタートだ。原子力推進か、反対かの議論よりも起きてしまったことを収束させることにまず科学技術を結集させるべきではないか」という菅野さんの言葉一つ一つが胸に刺さった。

厳しい農地の現状もある。優良農地が除染土の仮置き場になっているのだ。これには事情がある。牧地を仮置き場に提供した場合は9万円/10a支払われるのに対し、農地は18万円/10aだという。菅野さんたちは帰村が難しい人もいるので、耕しにくい山の際や牧地を仮置き場とすることを主張したが、環境省は「除染を急ぐ必要」から農道も整っている水田など農地に高い値を付けた。除染は復興のための手段であるはずなのにこれでは復興の妨げになりかねない。帰村した人々は、一番身近な生業と生活の場であるはずの農地に除染土を詰めたフレコンパックの山を見ながら暮らすことになってしまうのだ。

厳しい憤りの言葉と裏腹に、私たちのむける菅野さんの表情はあくまで穏やかで笑顔は明るく、そして前向きだ。修羅場を潜り抜け「腹をくくった」人の覚悟の深さの表れか。今後の新しい村づくりも懐の深さを感じさせる。「飯舘 真手い(までい)な復興計画」はネットワーク型の村づくりを考えており、帰村した人・帰らない人帰れない人・二重生活の人・村民以外の人すべての人をネットワークする構想だという。そして原発事故から得た教訓、それも「現場から見える教訓」を活かした復興にしていきたいと言われた。本当はもっともっと多くのことを語られた。一つ一つの言葉に含蓄があり、すべてをご報告できないことが残念だが、ここまでとする。次回は飯舘村長への訪問についてご報告したい。