スタディツァー最終のご報告です。

今日、9月23日から品川区の第三回定例会が始まりました。今日と26日が一般質問、27日・28日が常任委員会、29日と30日が特別委員会。そして10月に入ると決算特別委員会があり、10月24日が最終本会議という運びです。決算特別委員会は委員会室ではなく別の部屋で音声のみの傍聴ですが、他は本会議場と委員会室それぞれ中で傍聴ができます。ぜひ多くの区民の皆様に傍聴に来ていただきたいと思います。詳しくは区議会事務局にお問い合わせください。(TEL:5742-6895)

◆山田町復興視察

これまで、3回に亘ってご報告してきたスタディツァー報告も今回で最終としたい

ニュー嶋田荘の前に集合したツァー参加者一同。

ニュー嶋田荘の前に集合したツァー参加者一同。

2泊目の宿舎の嶋田鉱泉「ニュー嶋田荘」は、昔の湯治場のようなイメージだ。食事の提供もあるが自炊もできる。薪を炊いて温泉を温めており、トイレは水洗ではない。だからこそ、震災の後は多くの被災者を受け入れることができたという。

さて、一夜明けたスタディツァー最終日のこの日、朝食後もう一度山田町に戻り、復興状況の視察を行った。まず町役場から町や海を臨んで被災した時の様子についてゾンタハウスの船田さんからお話を伺った後、バスでまちの中を巡った。前の日に頂いていた資料には被災前のまちの写真と同じ構図の被災直後の写真や復興途上の写真が掲載されており、その資料を見ながら実景を見て被災の状況に思いをめぐらした。

山田湾を望みながら、被災当時のお話を聴く。海底のヘドロが巻き上げられ打ち上げられたという。

山田湾を望みながら、被災当時のお話を聴く。海底のヘドロが巻き上げられ打ち上げられたという。

船越地区の高台にある船越小学校では、目を凝らして波の状況を見ていた校務員さんのとっさの機転で児童を更に高台に誘導したため子どもたちには一人も犠牲者が出なかった。しかし、その校庭に避難していた町の人たちは18mの大津波に呑まれてしまったそうだ。現地をバスで巡ってみて、「波がここまで来たのか!」と息をのむ思い。改めて5年半前の災害の大きさに慄然とした。そして、個人の判断が生死を分けてしまったという現実については表現する言葉が見つからないという他ない。まして、その地域に暮らしている方たちにとっては背負いきれないくらい重い現実だろう。

今の山田町は復興途上であり、被災直後の無惨さは写真から想像するしかない。想像ではあるが、様々な重い現実を抱えながら生きていかなければならない地域の人たちにとっては気持ちも含めた「完全な復興」はきっと難しいだろうと感じた。それでもなお一日も早い復興を祈らずにはいられない。特に未来ある若者たちには希望を持って進んでほしいと願うばかりだ。

そのために私たちは何をすべきか、何ができるのか?もともとその課題解決の道筋を探るためにスタディツァーに参加したのだが、課題そのものの重さを改めて実感し、東京でなすべきことをもう一度考え直してみようと決意しながら東京への帰途に就いた。

 

以上で、スタディツァーのご報告を終える。不十分な点もあり、また津波の被害や原発事故の被害についてお話を伺って感じたことを表現するには私の語彙や表現力が足らず、表現しきれていない点についてはお詫びをしておきたい。

月並みな言い方になるが、やはり現地に行って初めて実感できることがたくさんあると感じた。震災復興について東京で考えるべきこと、やるべきことはまだまだたくさんある。まして原発事故については、終息さえしていない現状であり今後どうしていくかは東京に住む我々こそが真剣に考えて取り組んでいくべき問題だ。しかし、それを考えるにあたり、実行するにあたり、やはり被災した現地に足を運んで現場の話を聴くことが大切だ。そして、現地に行った者としては渾身の力で「伝える」ことに努めるのがその使命だろうと思う。「実際に見る」ことには及ばないまでも、思いがありながらなかなか足を運べないでいる方たちへの一助にならなくてはと肝に銘じた。

このご報告がその一つになれば、と願いつつご報告を終える。(よしだゆみこ)