共謀罪の成立は暴挙!!

6月1日共謀罪への懸念と怒りを同じくする様々な市民団と大井町阪急前でアピール活動。この法の問題点も訴えた。

国会では、参議院法務委員会での採決を経ずにいきなり参議院本会議で採決、という本当に乱暴な形で共謀罪(テロ等準備罪)が成立してしまった。テロの阻止は必須であるが、その国際的な協力のためにこの法整備が必要というのは根拠がない。生活者ネットワークは反対の意見を表明し、私も朝の駅頭遊説など機会があるごとに「憲法に保障された内心の自由、表現の自由、集会結社の自由を侵害する恐れがあり、「反対すべき」と訴えてきたが、本当に暗たんたる思いだ。

「一般人は対象にならないから大丈夫」などという乱暴な説明がされ、国会では「一般人とは誰か?」などという質疑が行われていたが、一般人が対象か否かが議論されること自体が刑事法の本質から外れており、不毛だと考える。近代国家の刑法とは、誰がやったかではなく一定の行為が犯罪とされ、そしてそれに対して刑罰が科せられるためには、前もって当該犯罪とそれに対する刑罰が、法で成文として定められていなければならない。罪刑法定主義という。「一般人が対象か否か、一般人とは何か」が議論されるということは、つまり同じ行為を行った人が「一般人か否か」で「構成要件該当」とされたりされなかったりするということを表しており、その議論自体が「共謀罪(テロ等準備罪)」が罪刑法定主義に反していることを表していると考える。

刑罰というのは逮捕・監禁・懲役、そして死刑、どれをとっても本来は犯罪行為であり、それが認められるのは社会生活の維持と安寧の為だが、どんなことをやったら罰せられるのか、それが曖昧では市民生活が不安定となる。それら刑罰が国家権力の恣意的な判断によって決められ、市民生活の自由が侵害されるようなことがあってはならないのだ。罪刑法定主義の思想的背景は自由主義に根差すものであり、歴史的には遠くマグナ・カルタ39条に遡るという。

自由主義が背景ということで、全体主義が台頭するとこの原理を否定する方向に動くという。つまり、今まさに日本は自由主義が否定され全体主義の方向に動きつつあるということだ。これからも、これは認めることはできない、と主張を続けることが必要だ。

そして、もう一つ強く訴えたいことがある。決して「自粛」してはならない、ということだ。個人情報保護法の時の苦い思いがよみがえる。この法の成立によって、適正に扱えば何も問題ない場合まで個人の名前を載せた名簿や連絡網の作成などが「自粛」されてしまった。地域のコミュニティの形成や、コミュニティの活動が格段に難しくなり、当時の私の活動の場であった生協の組合員活動は打撃を受けた。

今回も同じような現象が起きることを強く恐れている。共謀罪(テロ等準備罪)の本当の目的はテロの防止よりも日本人の特性による「集会や発信の自粛」ではないか?とさえ疑う。あえてくりかえす。決して集会や発信を「自粛」してはならない。私はこれからもこの法の問題点をさらに掘り下げて発信していこうと改めて決意している。(よしだ・ゆみこ)