飯舘村視察報告 飯舘村長訪問記

宿泊した農家民宿「成上」の前で。もとは養蚕農家だったものを民宿にしている。今は和牛繁殖・肥育を営んでいる。

「ふくしま再生の会」を後にして向かったのは飯舘村役場だ。菅野典雄村長からお話を伺った。

2011年4月11日に国は飯舘村全域を計画的避難区域に設定し、22日に指定した。お話はその時のことから始まった。全村避難といっても村をゴーストタウンにはしたくなかった。放射能のリスクと生活の変化リスクのバランスをどうとるかに腐心した。その結果特養と病院は残した。また、完全に室内で仕事する会社数社も残すこととした。また、2ヵ月をかけて村民の90%の人には村から1時間以内の場所に避難してもらった。特養の入所者や入院中の人については、室内の放射能リスクよりも、移動のリスクや生活の変化のリスクを重視して避けたということだ。特養入所者の家族からは大変感謝されたそうだ。また、残った会社の1つにはドローンやロボットで有名な菊池製作所があり、「避難せずに残ったことで今日の会社がある」と評価されている。

今、帰ってきた人はまだ、8%~10%。学校に戻ってきた生徒は10%強。それも村に住むのではなく近隣から通う生徒が多い。しかし、他の地域の学校に比べると帰ってきた生徒は多く、それもなるべく近隣に避難したことによるものだという。

これら、避難を丁寧に進めたことについては当然のことながら批判もあった。しかし、村長の言葉からは「微塵の私心もなく村民のために決定し、働いてきた」という強さが感じられた。政策決定に対する評価は後世に委ねようという自信と覚悟だ。今も避難指示解除を受け入れて帰村を決めたことへの批判はある。しかし、これからも信念に従って飯舘村の復興に邁進する決意を感じることができた。

今後に向けては、原発事故が無かったらできなかったことをやるべきではないかと考えている。国とは被害者と加害者の対立関係ではなく、今後に向けて、ということで交渉してきた。その中で原発事故の被害は他の災害と全く違うということを訴えてきた。①放射線への受け止め方は100人100様でまったく価値観が違う、その中で政策を進めなければならない。②他の災害はゼロからのスタートだが、これはまずゼロへ向けてのスタートを切らねばならない。③若い人と子どもが戻らない。以上の3点だ。

一方で賠償金は早く止めるべきだと主張している。賠償金よりも国が責任を持って生活が成り立つような施策をとるべきだということだ。この主張が農業再開のための国や県の施策につながった。国や県で対応しきれないところには村独自の基金を設定してきめ細かな対応している。営農への補助金については「なりわい農業」だけでなく「生きがい農業」も対象としたことが大きな特徴だろう。これらの施策は、何度も繰り返されたアンケートやワークショップ型の住民の話し合いによってボトムアップ型で作られた計画に基づくものである。こんな丁寧な計画づくりは小さな自治体だからこそ可能だったのだろうと思いつつ、小さな行政でこれだけの手間をかけて計画づくりをした政治姿勢に深く共感した。これも村長の理念に基づく政治スタイルだと思うと、自治体のトップに誰を据えるかの大切さを改めて痛感してしまった。

「ふくしま再生の会」の菅野宗雄さんと菅野典雄村長から共通に出てきた言葉がいくつかある。これからの飯舘村の最高の理念として「までいライフ」を広げること。「までい」は真手であり、今までの効率優先、大量生産・大量消費に象徴されるような価値観ではなくひとつひとつ丁寧に暮らしていく生き方だ。また、「帰らない人」や「帰れない人」もすべて含んだコミュニティを作っていこうとしていること。そして、最後に「飯舘村を忘れないで、とは言わない。」という言葉だった。「何故なら、自分たち自身が他の地域で起こった災害をずっと忘れないでいる自信がないからだ。だから、忘れないでとは言わない。その代り忘れられないような強い発信を続けていく」と。人災による悲劇を乗り越えて前を向いていこうという強い決意を感じると同時に私たちはその発信を東京でしっかり受け止めて広げる役割を担わなくてはいけないと肝に銘じた。菅野村長はその言葉に続けて「原発事故のことは忘れられちゃ困るけどね。」と付け加えるのを忘れなかった。東京の現状を思うと大変耳の痛い言葉だった。

村役場での視察の後は、飯舘村を出て二本松東和地区へ。飯舘村には宿泊施設が整っていない。宿泊できるところは食事の設備がない、ということで以前の視察でも訪れた「遊雲の里」で夕食。夕食の前に福島大学の守友裕一先生から「飯舘村の今までとこれから」についてレクチャーを受けた。菅野宗夫さんからは農業再生の一線での立場で、菅野典雄村長からは農業を下支えする政策的な立場で、それぞれ伺ったわけだが、守友先生はお二人のお話を踏まえて飯舘村が震災前から進めてきた施策や、農業再生に向けた学術的な研究など社会的な背景を補足しながらお話をしてくださった。たくさんの資料も用意してくださった上でのレクチャーであり、おかげで飯舘村が進める施策やその理念について理解が深まった。こうして報告が書けるのもこのレクチャーに負うところが大きい。

被災地へは一人でも多くの人訪れ、現地の方たちのお話を聞くべきだと思うが、現場の話だけでなく、こうした客観的なデータを示しながら解説を聴く機会も大切だろう。