子どもたちの今を支えたい! 子どもたちと一緒に考える被災地の復興支援

4つのグループに分かれて討議、意見交換する被災地の子どもたち

 

3.11大震災以降、毎春成人の日前後に行われてきた「東日本大震災子どもとおとなの意見交換会」。第4回目となる意見交換会には、被災三県を中心に都内で避難生活を送る子どもたちも参加。2015年1月11日。東洋大学白山キャンパスにて

 

会場からの発言タイム。吉田ゆみこも、この日の感想、子どもたちと約束したい決意を発言

1月11日、東日本大震災子ども支援ネットワーク(東京・生活者ネットワークも賛同参加しています)が主催する「第4回子どもたちとおとなが一緒に考える被災地の復興支援」に参加しました。

これまで、被災地の方たちを招いてお話を伺ったり、現地を訪れて様々なことを見聞きしたり、同ネットワークが主催する13回を数えた院内集会「東日本大震災子ども支援意見交換会」(被災地と国会議員、各省庁をつなぐ復興支援交渉がテーマ)などに参加してきましたが、私自身は、被災地の、こんなにたくさんの子どもたちの声を直接、きちんと聞くのは初めてでした(被災3県から小・中・高校生18人が参加)。私にとっては貴重な、本当に大切な経験となりました。

第一部には事情で遅れての参加でしたので、4つのグループに分かれての意見交換・討議からの参加。私は原発被害を今尚抱えている福島のグループに参加しました。そこで、「おとなに対して言いたいこと、望むこと」として語られた言葉はとても重く、私の心に響きました。「歴史の教科書に原発事故のことをちゃんと書いて欲しい」「日本全体を原発事故前に戻してほしい」「嘘は言わないでほしい。ちゃんとした情報が欲しい」「先が見えてこない。おとなたちには見えているのかどうかも分からない、情報は子どもたちには聞かされないから…」「原発に頼らないでほしい。後始末をするのは自分たち子どもだ。おとなは自分ことしか考えていないようにみえる」などなど。決して声高ではない発言の底に見えるのは、おとなに対する不信、何度も裏切られたり傷つけられたりした経験からくる静かで深い憤りでした。聞いているうちに自分の不甲斐なさが悔しくて涙がでそうになりました。子どもたちの怒りは一々もっともで、当然のことです。「なぜ、これが分からないのだろう…」。おとなの一人として本当に情けなかった! 

グループ討議の後の全体交流では、宮城県は仙台市街地に暮らす子どもたちが、自らも被災しているにも関わらず、「私たちは被害が少なかったが、津波で家族を失った転校生にどう接したらよいか、すまないような気持ち」を吐露したり、また、岩手の中学生たちは、やはり津波の被害から仮設住宅暮らしが長引いている仲間を気遣ったり、あそびや放課後学習支援などに大きな差が生じている実態を語ってくれました。聞いていて、復興庁は政府はいったいなにをしているのかと息が苦しくなるような場面もたびたび。

子どもたちはおとなが思っているよりずっとおとなで、残された時間が長い分、きちんと先の展望を持とうとしている、3.11を経て後の、彼・彼女たちの4年間は、大自然の猛威を知り尽くしてなお生気に満ち満ちていて、失ったひと・ものの大切さを噛み締めつつ、それでもいつか「自分がまちを復興するちからになりたい」と。そういう思い、決意が伝わってきて、私こそしっかりしなくちゃ、とむしろ励まされるような場面も多々。この日、子どもたちのこの声を聴いた私は、何とかこの人たちの信頼を少しでも回復してもらえるように努力をしていかなくてはいけないと強く決意しました。会を締めるに当たり、会場から、私も一言感想を述べさせていただきましたが、途中でやっぱり涙がこみあげてきて言葉に詰まってしまいました。

そして、やっぱり脱原発!! この日の子どもたちの声を力に強く訴えていこうと思います。<よしだ・ゆみこ>