スタディツァーのご報告第二弾です。
前回に続いてスタディツァーのご報告。カミノ製作所で心づくしの軽食(納豆ハンバーグなど)をいただきながらお話を伺った後、今度は菅野さんの畑に向かった。スタディツァー初日の研修はまだまだ続く…。
■ミニ農業体験・道の駅ふくしま東和視察(直売所、市民放射能測定所)
「ミニ農業体験」でトマトやパプリカを収穫させてもらった後、NPOで運営する直売所へ。私は買い物よりも市民放射能測定所が目当てで、真っ先に見せてもらった。
建物の一角を区切って測定室ができている。道の駅の各所の線量を測って一番値が低い場所を選んだという。測定室を利用できるのは会員。計測した後問題なければ直売所に出品できる仕組みだ。検出限界値は5㏃。30分計測だ。データはこういう事にもあまり得意でない人にもわかりやすく工夫されている。品川区でも市民による測定室の動きがあり、生活者ネットワークとしても応援しているが、場所の確保が課題だ。ここのように立派な部屋を一部屋確保するのは難しいが、参考にさせて頂こうとしっかりと目に焼き付け、写真を撮らせてもらった。
そのあと、買い物。かつて養蚕業が盛んだったころ、お蚕さんが食べていた桑の葉が今は健康食品として評価されている。色々な形になった桑の製品を買った。地域事業への支援の一助と品川区に帰った後、東和の地域づくりを語るためのきっかけにしよう。
■[生業を返せ、地域を返せ!』福島県原告団事務局長のお話し
遊雲の里に戻って、今度は「生業を返せ、地域を返せ」訴訟原告団の服部浩幸さんのお話を伺った。
服部さんは、震災と原発事故が起きた当初は放射能にはあまり関心がなかったという。地域で食品店を営まれており、他にはあまり店などがないことから震災当初はとにかく地域の人たちに食品を供給しなくてはいけないと、そのことだけに必死だったという。それが一変したのは、「学校給食で使う米を二本松産に変える」という決定があった時だ。当時PTA会長をしていた服部さんは放射能にはあまり関心がなかったこともあり「検査もしていることだし、問題ない」と考えていた。ところが、ある日学校に子どもを通わす母親たちが訪ねてきて必死に「米を二本松産にするのは止めて欲しい」と訴えるのだ。みんな顔見知りの若い母親たちで、教育委員会に訴えてもらちが明かずにPTA会長のところにやってきたのだ。服部さんが放射能問題に取り組むようになった最初のきっかけだ。給食問題は紆余曲折の末、心配な人は家からご飯を持参してよいことになり、それは今でも続いているということだ。
そして、服部さんにもう一つ転機が訪れる。それはチェルノブイリへの視察だ。そこで見たのは一口に言って「格差」だったという。大都市として繁栄するキエフ、その一方で所得が低く未だに事故の後遺症に悩むチェルノブイリ。キエフではもはや原発事故は忘れ去られているという現実があった。チェルノブイリでは事故の収束どころかこれから何代にもわたって後遺症と戦わなければならないというのに…。これは福島の将来の姿だ。このままにはしておけない、何か行動を起こさなくては、と考えていた時に出会ったのが「生業訴訟」の活動だったということだ。
訴訟で要求していることは極めてシンプル。「元の環境に戻せ」ということだ。戻るまでの間原告一人につき毎月5万円を求めているが、言うまでもなく目的はお金ではなく国と東電に法廷で責任を認めさせることだ。服部さんによれば原賠法(原子力損害の賠償に関する法律)では損害が発生した場合は事業者に責任があってもなくても補償する義務があるという。一見良い制度のように思えるが、「過失はないが補償はする」ということが言えてしまう。そうではなくて民法の過失を当てはめるべきと主張しており、被害の立証をしている段階だ。
訴訟は3月に結審を迎える予定だ。もちろん、勝訴を確信しているが、勝って終わりではない。まずは上訴を断念させなければならないし、被害を補償する制度を作らなければならない。服部さんの戦いはこれからも続く。(よしだゆみこ)