第9回 ダイオキシンデー・ニッポンに参加しました!

2019.8.11 ダイオキシンデー・ニッポンで講演するフォトジャーナリストの中村梧郎さん。

8月11日、スクエア荏原ひらつかホールで開かれた第9回「ベトナムダイオキシンデー・ニッポンに参加した。  1961年8月10日、アメリカ合衆国はケネディ大統領の命令でベトナムに枯れ葉剤の空中散布が開始し、1971年に中止されるまで数百万人のベトナム人と参戦していたアメリカ・韓国・ニュージーランド・オーストラリア各国の兵士がそれを浴び続けた。ダイオキシンは世界最強といわれる猛毒で遺伝子を破壊するとともに残留性が強い。そのため被害は未だ続いているが、アメリカ政府は何ら謝罪も補償もしていない。

ベトナム政府はこの8月10日を「枯れ葉剤被害者支援の日」と制定し、発がん物質ダイオキシンの枯れ葉剤被害者の救済と化学兵器枯れ葉剤の残虐さを世界に訴えている。日本でもこの呼びかけに応えて2011年から毎年ベトナム・ダイオキシンデーニッポンの集会が開かれている。

今回は特別ゲストとして、ベトナムからグエン・ドクさんが招かれ、「ボクが今、生きてここにあるということ」と題する講演が行われた。

中村梧郎さん(左)とともにステージに立つグエン・ドクさん。今は結婚されて男の子と女の子、2人のお父さんとなっている。

ドクさんは1981年に兄のベトさんと下半身がつながる結合双生児で生まれた。88年に分離手術に成功、しかし残念ながらベトさんは亡くなった。
また、フォトジャーナリストとして長年ベトナムの枯葉剤被害の取材を続けておられる中村梧郎さんのお話とお二人の対談もあった。お二人のお話を聞いて、改めてベトナムで起き、そして今も続いているダイオキシン問題の理不尽さに怒りがわいた。

これは日本国内の問題でもある。2013年、旧嘉手納飛行場の返還跡地に作られた沖縄市サッカー場で枯葉剤のメーカーのマークがあるものを含むドラム缶が、100本以上発見されたのだ。また、ごみの焼却によるダイオキシン発生は今でも続いているのが現状だ。
今ではほとんど過去の問題のように扱われている国内外のこの問題にしっかり取り組んでいくのが私たちの使命だと肝に銘じた。